色盲色弱の世界

認識出来る色の数が少ない、部分的色盲色弱)の人にマリオの塗り絵をしてもらったところ。

彼らの描くマリオは緑や紫で毒々しく色づけされ、その他大勢の人々を驚愕させたという。

ああ、これが彼らの見ている世界なのか、と。


えぇ、本当に?

いやそれってどうなのかなーと。


という風に懐疑的なスタンスなのは、自体験によるところが大きい。

私自身は認識能力高めらしく、色の認識テストならほぼ満点を取れる。ただ、偏頭痛の発作が起きると度々世界から色が消える。

それは白黒テレビだったり、カラーセロファンの赤で目隠しされたようだったり、淡く光り輝くこともある。そういう状態が数十分続く。

色盲色弱、程度の差も当然あり、イコールとは言えないが、それでも真っ赤な世界が色の少ない世界ならば。あのマリオが彼らの世界の再現かというと疑問なのだ。


セロファンの世界は赤と黒が広がる。輪郭が黒い。それ以外が赤い。濃い色はどんどん黒に近くなる。でも赤い。

元の色を知っている。元が何だったのか、その色を。でも、赤と黒の細かい変化だけだと明るさの近い色が区別出来ない。

もしも赤セロファン世界の私が128色クレヨンを受け取っても、目の前の風景すらまともに彩色出来ないと思う。同程度の明るさをもった色が見分けられないからだ。

実際に見えているのが若干黒ずんだ赤だとしても、群青や深緑を取るかもしれない。あれは薄い赤、そのつもりで取ったら檸檬色、或いは浅葱色かもしれない。黒い視界を再現する為に掴んだクレヨンは本当に黒かな?


つまり、そういう疑問だ。

塗る側は近いそれらしい色合いを選んでいるだけで、当人の認識とすら合致しない色の可能性もある。

勿論、赤→緑、といった風に、特定の色から色へ確定で認識がずれているとかなら、まあ、世界を再現してくれているかもなーと思えなくもない。


マリーの部屋について考察したくなる。

思考実験の本筋ではないけれど、モノクロしか知らないマリーの目が外の世界を見たとき、色を認識する機能そのものは生きているのだろうか?