INTPとは
多様性とは何ぞやを学ぶキャンペーンに参加しなければならなくなった。
インクルージョンほにゃららという単語もついてきた。
そんでもって『まずは自分を知ることだ』とあれよあれよと質問に答えていったらINTPだと表示された。
それが私だ。
自分で「私INTPなのよねーオホホ」と言う分には問題無い。
しかし他人から「君INTPっぽいね」とか「INTPだから◯◯なんだね」とか言われるとあまりよろしくない。
言われたこともないし、診断結果を周囲に広めていないから、そもそも誰も知らないことだが。
では、何故よろしくないのか?
変わり者の評価はずっと昔からで、それ故かよくモノマネの標的にされた。
やる側は一度きりでもやられる側は積み重ねて飽き飽きだ。実に鬱陶しい。
ついでにモノマネというものは、対象を馬鹿にしたり周囲との差をつつくことが多い。
カッコいい部分取り上げてくれることは滅多にない。
いや中居正広氏の野球選手モノマネのような、再現度を追求したものもあるけれどね。
「B型らしいね」が日本だとワガママ自己中心的の用途にもなる、何気ない感想でも言われる側は数十回と繰り返されてきた嫌味、みたいな?
いや違うなあ。
これじゃないなあ。
「自分ど田舎◯◯県出身なんですよ」はOKでも他人からの「◯◯県出身? ど田舎じゃん!」は不快みたいな?
どちらかというとこちらだろうか。
人間たったの16通りなんてことはない。
多分。
そんでもって、自分では「ああこれ当てはまる。でもこっちは違う」が分かる。
自己分析の自分と16パターンのテンプレに生じた差異を理解した上で自分を概ねINTPとして扱う。
それが他人には出来ない。
田舎(北の方はちょっと賑わっているけどそれ以外は田舎)を余所者は理解していない。
和訳された不思議の国のアリスに感じるガッカリした気持ちや、原文未読者が「不思議の国のアリス好き」と宣言していたときの違和感?
いや、何かを好きになるのは良いことだ。
私と見ているものが違うだけで。
脱線した。
そもそも私は性格診断の類をアテにしない。
以前も別の分析を受けたが、「数十パターンのどれかに『ほとんどの人が』当てはまります」のどれにも属さなかった。
当然解説もなかった。
分かったことは、自分がただのアブノーマルな変人であるという知っていることだけである。
無知の知? 知の知。
やはり曖昧な知ったかを嫌悪しているのだろうか?
だが、「あなたのような思考の持ち主は世間だとこういう扱いですよ」の参考程度にはなりそうである。
今回は幸いにも割合ナカーマが大勢いる分類に飛び込めたらしい。
仲間求めてないけど!
何でも、先人達の偉大な統計によると、女性の1%くらいは私がいるらしい。
正直嘘やろと思うがきっとどこぞの隠れ里にでも大量発生しているに違いない。
INTPとは論理学者で合理主義のゴリゴリマッチョマンらしい。
最近の口癖が「私合理主義っぽいんですよ」だったからこの辺はストライク。
小学校卒業のときクラスの未来予想図で学者扱いされていたが、クラスメイトは私をどんな目で見ていたのだろうか。
ぶっちゃけINTPが何の略かすらあまり興味がないが、しばらくの間、自分という『何となくINTP』を通してINTPの生態を気持ち調査してみることにした。
他性格の分析やINTPそのものの深掘りはしない。
どうせ他の人が巨大な穴ボコをえっちらこさえてくれている。
私は、私を通して外界と繋がってみようと思う。
少しの間だけね。