卵と鶏と私

あるとき、鶏が先か卵が先か議論になった。
猿から人は生まれない。だから鶏が先だ。
猿は育っても人にはならない。だから卵が先だ。
こういうやり取りを昼休みが終わるまでぐるぐると続けた。

たまに宇宙の果ての果てについても語りあった。
宇宙の最果ての向こうには何がある?
過去か未来か、異世界か壁か、無か。
そもそも宇宙は存在するのか?
現に隕石がたまに降るじゃろ。衛星だって回っている。
ああそうかでも見てみないことにはなあ。

全部中学生の頃の話である。

今でも答えが届きそうで届かない、ぐるぐるとした議論が好きだ。
無駄は好きじゃない。
答えに近付くつもりでいて、近付いているか確かめるのが困難な、そういうパチパチと弾ける瞬間の引き伸ばしがたまらない。
今は、そういうのに付き合ってくれる知り合いが周囲にいない為、脳内会議で済ませているが。

数年前、ちょっとした議論の主張で食い違いがあった。
そこから数時間に渡る言い争いが始まった。
最初は私自身、自分の主張に正当性を感じていた。
しかしどういうことだ、少しずつ少しずつ相手の意見も心地よくなってきたではないか。
自分の意見を展開しながら、相手の意見について精査する。正直自分第一なところがあって、へし折る気で挑んでいた為相手の意見はぶった斬る前提だった。
相手の意見を聞く気がないのにもかかわらず、自分の中では色々な可能性が溢れ出る。持論に穴を見つける。相手の論理の良きところもみえてくる。
しかし折れない。まだまだ対立の姿勢は崩さない。
そうして、気付いた。

「終わらない議論は、楽しい」


何て迷惑な奴だ(´•ω•`)
ちなみに最後は相手が折れた。悲しき勝利である。